2018年05月28日

5月最終週 アリジナル週報

先日、PCにペンタブをつなぐ。

ついにサンダーの野郎もデジタルの波に飲まれたか、と思われたいとこですが
実際は久々に絵を描いて取り込んだり直したりをマウスでやるには限界ってわけで
買ってから1年以上ほったらかしだったのをつないだってだけです。

それに引き換え、現在すでに1本を使い尽くし、あまりの便利さに
改めて6本買い足したのが、これ。


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フリクションいろえんぴつ。

原始人上等。何がペンタブだコノヤロウ。


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にしても、これ最高。

ソファで寝そべったまま消しゴムかけられる衝撃。
ゴミ出ないって凄い。
減りの速さとあんまり重ねて書けないのもあるけどそれでも
遠慮なく「線で迷える」この素晴らしさ。文明すごいぜ。


つーわけで、いよいよデザイン画に突入しているのは
ようやくのオリジナル路線。

思えばずいぶんとゴブサタでした。

もともと俺は他人のキャラはお金をもらうためには作るけど
本当はファン活動で作るのだって無駄だと思ってしまうくらいで
出来れば自分で全部考えてやりたいタイプ。

でもなかなかオリジナルは金にならないですからね。

生活の為にはプロフェッショナルでいる時間を優先しないとダメで
オリジナルで遊べば遊ぶほど支出が増えるばかり。

それでも仕事とうまく両立できるよういろいろ工夫した結果
まさに枯れ井戸に石を投げ続けるがごとき空しい経験に
もういいや、ずっと仕事してりゃいいんだ。
自分のモンなんか作るのやめやめ。と心が死ぬ事1年と半分。

しかし復活。やっぱり作りたい。

今度は若干の腕前と猿知恵がついてますからな。
慎重かつ大胆に事を運ぶぜ。

かくして勉強に本を読みまくり、調べに調べて
面白いもんだから余計なことまで調べて、軽く歴史を理解するつもりが

いまんとこ行きついた、一番気になる部分が




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プレートテクトニクス。

文明が吹っ飛ぶくらいさかのぼった。

いやもうフィリピン海プレート、やんちゃすぎだろ。
1400万年前に起こした噴火の数々、スゲーったらねーな。


アセノスフェア(マントルの表層)の代わりになる、なにか
スライド可能な表面の地球儀に、プレートパネルを重ねて動かして
体感できるようなオモチャないのかなと探したら


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んー、こういうんじゃねえんだよな。

もっとこう

地球上のプレートをぐねぐね動かして体感したい。


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ま、あったところで2分で飽きる気もしますが。


かくして日本列島の成り立ちのポイントが1400万年前の
そういう騒ぎだって頃、人類はどうだったかというと

当然存在せず。たぶんまだほぼネズミ。
調べたら樹上に逃げたげっ歯類の前方に眼窩が向き
対向性をもった指が枝を握れるようになったのが先祖のようで。



で、580万年前になって、ネズミが猿に進化し
やっとこ人類の元となるこれが


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エチオピアにようやく現れる始末。

ってまだ完全にどモンキーじゃねえか。
そこらじゅうでプリプリくそを垂れ、交尾しまくる猿では人類とは呼べません。

実際はまだ未発掘の事が多いでしょうから100万年くらいは
いろいろ差異が生まれるかもしれませんが、だとしても
文明を手にしたのはたかだかウン万年前でしょうから
ほんと、地球の歴史から見れば人類なんぞはアリンコと大差ないわけです。

そんなアリンコは、プレート移動の結果噴出したデカい溶岩塊とか
地質上の露出物ですら、これは凄い岩だからありがたい!神様だ!と
拝んだり登ったり、果てはお祭りまでして喜んでるわけですから
なんつーかもう、バカすぎてどうーしょもねーなアリンコ、
としか思えないんですが
実際はそんなアリンコの生き方にこそ興味が出るわけです。

ただの岩だっつーのに神だ!大事だ!と敬い、石はおろか草にも
虫にも魂を見出し共生を探ろうとし、あげくは便所にも神様がいると
言い出しなんでもありがたがっちゃうアリンコの性根。

実に素晴らしい。

これくらいのが出現したら拝みたいってのも理解できなかないけど


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日本においては、これで十分拝めちゃう


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微笑ましいったらない。


猿が手に入れた高度な社会性の中でも俺はこの日本特有の
飛び抜けたアニミズムがとりわけ大好きなわけです。
そこには輝きがある。間違いなく幸福と社会性の本質がある。


最終的に何がやりたいんですかとよく聞かれますが
俺は俺が正しいと思える物語を紡ぎたい、と答えてます。
そんな輝きに満ちた物語。

ちょっとしたキャラを作るにしても、正しくあれ、と思って
構築するわけですが、そのキャラにとって正しい事ってなんだ?と
調べるとどんどん調べ物が大きくなって、果てはプレートテクトニクスまで
たどり着いてしまうという壮大な寄り道。

でもそういう寄り道が、視界を広げ、アリンコの意味と価値を
見出せるんだとも思ってます。話ってのは結局氷山の一角でしかなく
その沈んでる部分をきちんと出来るマジメなアリンコでアリたい。
輝きを見逃さないアリンコの一匹でありたいと思うわけです。


だからオリジナルだなんだの落ち着くべき先は、世界で一番カッコいい
アリンコの話を作りたいってことですな。


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ちなみに悔しいかな、現在一番カッコいいアリンコ映画は

このゲームを実写化した


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これ





また知らないうちに変なタイトルでDVDスルーされてませんように。
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2018年05月21日

5月第4週 ボーガス週報


今度、新宿で小津4Kという上映があるそうで。

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昔はデジタル上映?と多少の警戒心があったんですが、今は
フィルム以上の場合も多く、まったく気になりません。
4Kデジタル修復ってのは、ちょっとよくわからんすが、
凄いに違いない。

先日読んだ原田治の「ぼくの美術ノート」には小津映画で
使用される「東哉」の器の話が出てました。

器はまったくの門外漢なので知らなかったんすが、東哉とは
京都清水焼の陶磁器製造販売で有名なお店だそうです。
だいぶ有名みたいで、小津安二郎が好んで使用したというのも
有名な話みたいです。


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画面に映るものってのは、想像以上にコントロールされてるもんで
小津美学が小道具まで染みわたっているのは当然っちゃ当然なのに
映画で使用されている器まで気にしたことはなかったすね。

いや、SFとかだと気にしてるか、結局。


いずれにしてもその話を読んで、キレイな小津映画を見てみたいなと
思ってた矢先なので渡りに船。なんとか行きたい。



俺はもともとホームドラマが大好きで、クリーチャーや
宇宙人やサイボーグが出てなきゃ映画じゃねえや、と思う反面
何気ない家族の日常を描いているものにも非常に心惹かれます。


思うにそれは間違いなく「時間ですよ」の影響で、あの世界観は
今でも憧れの的。演出家の久世光彦が構築して破壊した
お茶の間撮影みたいな感じが大好き。

しかしそれも元を辿れば小津映画のカメラありきと思います。


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時間ですよも最初は、手前にまだ人(一郎)がいたんですね。


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そのうちカメラ側には人を配さなくなり、スタイルが決まったものの
変化し続ける演出はバタバタと茶の間で暴れ始め、歌って踊り
久世演出のドラマは崩壊してバラエティと化してしまうわけです。

ま、それはそれで面白い部分もあるんでしょうが、

俺が好きなホームドラマの部分は、そこじゃない。


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フミさんがおカミさんを気にして、おカミさんがフミさんを
気にして、ってのを見てたい。心の機微に触れたいわけです。


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そういう意味では向田邦子の脚本回は大外れだしそれがメインの
寺内貫太郎は大嫌い。



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やっぱ時間ですよ、が好き。


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そんな俺が今週検索かけた画像、ビルとテッドの地獄旅行の
2こイチ天才宇宙人、ステーションのスーツ。

俺にとっての東哉って、こういうことなんだな。


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2018年05月14日

5月第3週 ゲンガ週報

先週は、しゅりけんとうちゃん原画展と原田治イラストレーション展へ。

どちらも小規模ながら、なかなか胸に来る展示でした。

まず、しゅりけんとうちゃんは2002年に忌野清志郎が絵を描いた絵本。
キンダーブックに掲載されて以来、書籍化されてなかったものだそうです。

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(現在発売中)

2002年頃の清志郎はというと、ラフィータフィーが終わって
ラブジェッツにさしかかる、個人的にはまさしく迷走の暗黒期と思える頃で
全然音楽に集中出来てない悲しい時期。その分こうやって絵本やTVやら
いろいろやってたんですが、いいアルバムは出してない時期。

時々こういう時期があった人なんでそんな陰も少しあるのかな
とか思ってたんですが、原画は元気いっぱいそんなことは微塵も感じさせず
リビングで闊達にわいわい描いたんであろうな、という感じが伝わってきて
非常に微笑ましいものでした。
マニキュアのラメなんかも使い、印刷はともかくいかにもな感じがまた
人となりを感じさせて非常に興味深かったです。


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それでもキンダーブック掲載時には、乳母車の娘が持っている鎖鎌の
先がとがってて危ないということで少し検閲が入ったそうですが
本当の配慮ゆえの検閲なのか、それとも頭ごなしの検閲なのかわからんす。
ただまあ、一見して浅慮と思われる判断にはイラっときますね。
頭デッカチの阿呆が口出すんじゃねーよ、とは思います。それをダメに
するならそもそも手裏剣投げる父ちゃんがダメだろ、って。
それを忘れといて、小さな女の子が鎖鎌というギャップの微笑ましさを、
これ尖ってて危ない!という野暮。そんな凝り固まった浅い考え方こそが
危険の予測や想像を膨らませる事に鈍感なイモを育てるんだろうし
モモちゃんにクサリガマ持たせたい親心、汲んだれよっつー話です。


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しかし当の本人はそんな些末な外野を意に介することなく、楽しそうに
描き散らしてるんで、絵に曇りは全然なし。見られてよかったです。

そして、築地に行き原田治イラストレーション展に行く前に
本願寺に寄ってみる。グッズショップがあって、そこで線香立てを買う。


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ピューターのウサギなんですが、一見して、これは線香を立てるんじゃなく
小さいマイクスタンドを作って黄色とオレンジに塗ってコタツにミカンを用意して
ささやかなMy柴山俊之置物、かわいいウサキクちゃん人形にしようと思いまして。


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という無駄な買い物をした後、築地場外市場の真ん中にある
パレットクラブ初訪問。


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細かい出自はよくわからないんですが、原田治が発足させたイラストスクールらしく
素晴らしく洒落ていて、今でも現役で教室やってるそうです。

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展示されてたのは初期の雑誌悪ふざけ時代の原画から実にバラエティに
富んだ作品の数々で、微笑ましいと同時に感心することしきり。

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似顔絵はそれだけで食っていけるほど上手いし、その後の可愛い系の
まとめ方の成長も見られる。抽象的なデザインもセンスあるし、優しい
風景イラストも味がある。つくづくあらゆる方面にアンテナ立ててて
あらゆる方面でセンスを発揮してるなあと再感心。

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特に細かい印刷指示の入った色指定イラストと、出来上がったページとの
驚くほどの差異に、改めて原田治のプロフェッショナルを感じました。

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もう現代においてはこういう指示は無用に近い作業です。

原稿用紙に手書きの原稿が、今はもう当たり前のようにワープロから
パソコンに移行し、データ入稿。
オモチャの原型も粘土をコネたり木を削ったりから、データ入稿に
移行しつつあり、いずれそれも特殊な事例以外、完全に移行するでしょう。

原田治が懸命に修得して操った丁寧な技術は、すでに過去のモノであり
カセットテープやフロッピーと同様、忘れ去られるものとなってます。

それでも、その当時、その技術を駆使して新たな表現に挑んだ姿勢は
どれだけ時代が移ろうとも作品にキッチリ宿ってるわけです。
技術ではなく、姿勢が作品として残ってる。

その時の旬のものを上手に使って最上のモノを仕上げたいという姿勢が。

ペーター佐藤含め、同時代を試行錯誤しながらも共に駆け抜けられた人々を
少しうらやましく思いました。いい具合に刺激しあったんだろうな、と。


自分はこういうカルチャースクール的な事ですら経験したことがなく
特殊造型を始めた時も自力で材料をかき集め、自力で作って
プロに持ち込んで見てもらったわけで、共に学んだ人がいない。

系統立てて学んだことも、机を並べて学んだこともないので
学校行って美術の勉強した、なんて話を聞くとまるでお菓子の城に
招待されたみたいなイメージで聞くことがあります。

まあ俺は自力でエサを探して来て育った野良犬的な自負の方が
うれしいんで、別に後悔はしてないんですがそれでもなんだか
学校通って、いろいろ教わりたかったな、って憧れがあります。
勉強だけで過ごせる空間。心の底からうらやましい。

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パレットクラブで購入した「ぼくの美術ノート」を読む限り
イラストもそうですが、原田治の話も生徒として聞いてみたかったなあと。

少し先を走る人の、ピリっとした意見は本当にいい刺激。
物事に対し、一家言ある人物の話は面白い。
同じモノを見ても、そんな切り口で見るのかという
「構え」だけ見ても流派の違いが勉強になるし、刺激にもなる。

イラスト展はまだ1週間やってるんで、興味のある方はぜひ。
70年代から80年代を彩った雑誌文化、江戸っ子の粋を残した
和風な遊び心と、屈託ない西洋への憧れと対抗心。そして
若い人に学んでもらえる場を作ろうとした男の理想の結果。
くーーー!と感じられると思います。


で、入り口には野良猫のクロちゃんがいるので、驚かせぬよう。
だいぶベテランの風格と貫禄がある「わかってる」猫がまた
原田治が作った場所に似合ってて、味わい深いす。
posted by サンダーロードスタイル at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月07日

5月第2週 ダバシ週報

先週はなんつってもようやく夢にまでみたブリバリーズの主役衣装争奪戦


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と、完全に内容が同じと思ってる、土星ゴリラとの手袋争奪戦を



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見られたわけで、いろいろ感無量でチョー語りたいんですが
それはネタバレ話にしかならないので置いておくとして、

先日、行こうか行くまいか迷ってた

あしたのジョー展に行ってきました。


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子供の日のスカイツリーというほぼ初詣レベルの人出の中、頑張って見てきました。

俺の中の梶原一騎配列は

愛と誠 > あしたのジョー > 空手バカ一代 > 男の星座

なので、なんとなく50周年でタカってきた愛情のない回顧展みたいなものだったら、
別にまあいいかくらいのスルー感で、ギリギリどうかなと思ってたところ、
ツイッターで背中を押されまして行くことを決意したという次第。

我が家からだと簡単に片道2時間かかるので、そこそこの決意が必要でしたが
行ってみれば本展示が始まる前の、フェイク試合ポスターを見ただけで
こみ上げてくるものがあり、なんというか、感情マックスで突入してきたわけです。


結構な原画の中でも印象深かった1枚は

林屋の紀ちゃんとのデートのコマ。

ここで、応援してはいるものの、心情的にジョーについていけない紀ちゃんは
ハッキリとこう言い放ちます。

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それに対し、ジョーは話下手にも関わらず、こう説明します。

「ちょっと言葉が足らなかったかも知れないな・・・。
オレ、負い目や義理だけで拳闘やってるわけじゃないぜ。
拳闘を好きだからやってきたんだ。
紀ちゃんの言う青春を謳歌するってこととちょっと違うかも知れないが、
燃えているような充実感は今まで何度も味わってきたよ。
血だらけのリング上でな。」

さらにこう続ける。

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そして


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ラストシーンに悩むちばてつや先生に編集者が見せたこのシーンが
あの真っ白に燃え尽きたシーンにつながったのは有名は話です。

今回梶原一騎のコメントでも書かれてましたが、青春の罠に
一直線にはまっていくジョーという表現がありました(たしか)。

青春の罠・・・



俺らは、常に、打算と向きあって生きてます。

常識的に考えて・・・世間的に考えて・・・いろんな条件を持ち出して
自分の心の赴くままに行動しようとすることを制限してます。
それが他者への思いやりであったり、気づかいであったりする場合もある。
でも出来るならば本当は打算なしに、心に素直に生きてみたい。


ジョーの物語の美しさは、そうした打算に挑んだ若者の生きざまでしょう。
それを原作者である梶原一騎は青春の罠と評した。

心の赴くままに己を酷使すれば、その代償はあまりに大きい。
だから我々はそれが出来ない。ブレーキをかけてしまう。

しかし、ジョーはそれをやってしまう。

複雑に変遷するモチベーションの向こうにあるものを
そこまで命を削って突き進む理由を我々が知りかねてるところ
林屋の紀ちゃんが、ぐっと切り込んでくれたわけです。

俺にはこのコマが相当ショッキングでガキの頃から刷り込まれてました。


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負い目や義理(という古風な言い方も胸にきますが)だけで
やってるんじゃなく

「すきなんだ」というひらがなの羅列。

死にものぐるいで
かみあいっこする充実感が

わりと おれ
すきなんだ

という告白。

可能な限り紀ちゃんに歩み寄ったジョーの台詞でしょう。

心配かけまいと、すこしだけ「わりと おれ」と軽めに
言う台詞のサジ加減が強烈に印象に残ってます。

あれだけの死闘を繰り返す理由が、居場所を探すのでも
自分を確かめるのでもなく、

わりと すき

という衝撃。


でもこれ、凄くよく理解できる。
ナナメに構えているわけでも、しょってるわけでもなく
別に軽さを装ってウソをついているわけでもない。

自分が感じる「いい」という感覚に身を委ねる本質的な正しさ。
自分への肯定感、道を間違えてない感が凄く共感できるわけです。

打算や駆け引きよりもなによりも、自分だけが感じる
いいんじゃないか、という感性に従える感覚こそ
自らをよしとする、つまり自由である本質なんじゃないですかね。

俺はこのコマの本物を見た時、自分はいつも、屁理屈はさておき
物事をとにかく素直に「好きであろう」と心がけてた事を思い出し、
このコマの影響だったんだな、と気づきました。

わりと すき はそれくらいカッコよく俺には見えてた。

わりとすきな事は、実は命を賭けるに足る事でもある。
打算や後押しなんかなくても、自分の感覚には本当はそれだけの
価値があるはず。ジョーは気負わず、鎧わず、軽やかにそう言ってのける。
わりとすきな事にすべてを賭けられる潔さと美しさ。男はこうあるべきだ。

梶原美学が提示した理想を、ちば画力が表現しきった原稿。

ちょっとした台詞の、ちょっとした配置や改行。
口語で想像した時の、響きの美しさや、余韻の心地よさ。

これが梶原一騎とちばてつやがギリギリまでせめぎあって
生み出したただのマンガだったのかと思うと、
会場で危うく涙が噴き出すところでしたが、我慢しました。

でも確信しました。俺の中にもジョーがいて、気づかずずっと
その背中を見てきてたのか、と。

こういうギリギリの問いに答えを出してくれる拳闘が
大好きだったんですが、今はもうなかなか見られないすね。
いろいろ胸が痛すぎて。
posted by サンダーロードスタイル at 00:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする