2020年01月06日

1月第2週 アケマシタ週報

今年も無事始まりましておめでとうございます。
息災ってのはそれだけで尊い。みな息災であれとつくづく思います。
皆さま元気に本年もよろしくお願いいたしますコノヤロウ。


さて、こないだしたいと思ってた造型話。
きっかけはコレでした。


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元になった原型はみなさんご存じ、タイムスリップグリコの
中澤さんの原型で発売は2003年だそうです。
色褪せないにもホドがある。17年前で究極レベル。


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03年当時俺はまだスカルピーをいじり始めたばかりで、
配合や焼き方などプロのテクを中澤さんに教わってたんですが
そりゃもう衝撃という他なく、原型段階でもうオーパーツにしか見えない。

メカもスカルピー。どうやったのか尋ねると返ってくる答えは
ヘラでエッジ出すんだよ、とかムリムリムリってのばかり。
たぶん今でもムリ。

しかもこの時期の海洋堂の製品化レベルも凄まじく
狂気としか思えぬ原型を、見事にマスプロ化しており
分割や納品時にどれほど苦労するのか尋ねても、原型がプロなら
生産もプロ。どんとこいでやってたうえ、あの価格帯で
あの商品群を出せてたんだからもうコメントのしようがない。
すべてが圧倒的。日本が誇る世界一の生産管理ぶり。

・・・だった原型をデジタルで取り込んでサイズ替えして
一発で出力したのが今回のキット。しかも出力量産。


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俺はデジタル関係は完全な門外漢なのでよくわかりませんが
これくらいのサイズの出力は短時間なんですかね?
そもそも仕事の流れでなんとなく出力品を見たことはありますが
マジマジと手に取るのはこれが初めて。実際どんなものなのか
見知らぬ素材を削ったり仕上げたりできるなと、気軽な出力品として
手にとって確認したかったということもあり手に入れたかったわけです。


原型の精密さとしては(一発抜きという条件ありきで)十分なんじゃないの?
というものが実に上代1800円。人件費まるまるカット出来そうなんで
原価はおそらく数百円。しかし1個当たり出力に何時間かかるのか。
決して効率いいとは言えないですが、金型もしくはゴム型をつくらず
出力設備だけで対応できるなら、もろもろ補って余りあるのかもしれません。


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ビデオカメラの普及でコッポラが言った「いずれスタジオを肩に担げる時代が来る」
みたいな出力彩色完成品量産が半分スタンダードになる時代
すなわち「自宅が工場になる」時は遠くないと思います。
金型を持たないメーカーが出てくる時代が来たわけです。


嗜好分野の段階でこれほど細分化してきている現在、
ばかすか大量生産で大網仕掛けるよりも、小回り効いて生産に
対応できる方がリスクも少なく効率的でしょう。だから時代の流れとして
こうした出力品が即商品というのは当然と思います。

そしてスキャン次第、データ化次第で過去の名作がこうして
もう一度日の目を見るというのも素晴らしい。

実際俺も、どうよどうよどうなのよ!とかなりテンション高めで
買ってきてもらいました。


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デジタルで取り込んで縮小する。

縮小の際に、再現技術(出力ピッチ?)が精細であれば
もはやどんなものもとことん小さくできます。

デジタルモデリングそのものはコピー機能が基底にある限り
さらに飛躍的に進化するのは間違いない。
なんの基礎がなくてもいきなり正しく完璧なものが、
サイズ関係なしに具現化できる。

デジタル化はいいことづくめと言っていい。
いやもうほんと素晴らしい。



そしてここからが俺の感想ですが

この商品を見た瞬間、このところ直感的に感じてた懸念が
確信に変わったわけです。

つまり

こりゃ終わったな、と。

1800円の投げ売り商品なので別にどうでもいいっちゃいいんすが
そこに包括されてる可能性は非常に侮りがたいな、と感じました。


まず
ツボを押さえた精緻な造形がいともたやすくさらに縮小される。
あっさり長年の技術を上回れてしまう現実。

後で小さくしますから大きめで作ってくださいと言われても
出来る原型師なら、きちんと構成「は」できる。

構成程度であれ ば です。

理屈での構成は誰でも真似られる。いわゆるAIなどで
情報を収集、参照、解析、総合するディープラーニングの領域で
効果的な構成は構築可能となるでしょう。単純に最大公約数の
「模倣」の領域まではいける。ディティールなんか一番簡単に模倣できる。

でも模型的表現、造型的表現の主たるポイントは
そこではないと俺は思ってたわけです。

安易な縮小性や利便性と引き換えに巨大なものを失う可能性がある。

この商品はそんな終焉を示唆していたわけで、それを感じて
終わったなと思ったわけです。


失うってのは「目」。


模型的表現ってのは「コメツブに念仏を書く」能力、
つまり単純な縮小表現とはちょっと違う。

いや細かい方が正解でしょ、というご意見。ごもっとも。
細かいだけ、それはまたそれだけで価値になる。

しかし原寸大で進行していた作業時に使用された優れた「目」は
「創造性への判断力」という別要素を伴ってるわけで
これは機械的な縮小とちょっと意味合いが違う。

具体的には
ミケランジェロのダビデ像の頭の大きさの誇張や
運慶の仁王像の腹部のぶった切りや
タミヤのスケールモデルのウソに共通する感性と作業。

より詳しく言うなら
「原寸大直視感を伴った判断を基準とする創造的工夫」の有無。

つまり人間の2つの目で実際に見ている感覚から導き出される
立体表現のサジ加減、ってこと。
仮にこの判断力を「目」と表現します。


たとえばこの作品で具体的に説明するならば、キングジョーの腕部。

せめぎ合うディティールの中わずかな表現のチャンスで
少しでもキグルミスーツ感を出そうと手首にディフォルメの効いた
シワが入ってます。


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もしこれを後に縮小するのを前提に大きいサイズで作ってたら
この部分は正しくリアルなシワを彫ってるでしょう。

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でもこの原寸大サイズから見て情報量がキツキツの中、少し大きめのシワが
手首に入ることで精密さを邪魔せず、カッコよさを維持しながら
いい部分でキグルミずっこけ感、しかしそれだよそれ!感を出してる。

それは精緻とは別に非常に可愛くディフォルメできてる要素で
実はこの作品の印象を結構左右している点だと思います。
リアルかつソリッドに攻め切るわけじゃない、ノスタルジックな
思い出の再構成をやろうって企画。愛嬌は不可欠です。

言ってみればここにシワを入れた判断は目がディティールを追う
リズムの創造であり工夫そのもの。ガバ、グニ、ムキ、みたいな。

リアル再現重視で造形するなら肘上あたりに入ってしかるべきかもですが
手首にした判断、素晴らしい。握った手先を見てからの流れで
アピールするには実に適所。その判断に俺はビリビリきます。


おそらく原寸大でアプローチしてたからこその原型師の「目」が
決定したサジ加減と思うわけです。ユーザーが手に取るサイズと
同じサイズを経験している中で働いた平たい直感が
非常に的確に作用しているんじゃないかと。


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クレーンのトラス構造、崩れるタンカーの荷物のバランス。
どれもがこのわずかな空間で絶妙にバランスをとった「空間取り」と
それを精緻に具現化できる冗談レベルで高度な模型技術で出来ている。
これぞまさしく匠の技だったわけですが


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わずかな縮小と、それが生み出された工程から受け取れるものは

ガックシ感。

実はすごく魅力的な表現部分でもあったのに、もう別に頑張って
小さく作んなくても後で小さくできるよっつー縮尺率だけで判断され
作り手の「目」の存在が重要視されずとも成立してしまうという
創造性の終焉を感じちゃった、と。



まあ消えていく技術なんてそれこそ毎時代毎時代ヤマホドあるわけで
そりゃ別に全然いいです。

仕事として食うか食わないかの話であれば、別にデジタル造型して
受注すればいいだけの話。そこに技術の上下も使用素材もクソもない。
結果よければすべてよし。


って話で落ち着けばいいすが、たぶんそういう問題じゃねーんだな。


ハマさんの造型や、真鍋メカ、中澤造型から受けた感動はどちらも
正しく大胆なディフォルメと精緻なリアル両方に通じるものでした。
それは作り手の判断による、的確な約分と、想像力を掻き立たせる
絶妙なフックの配置があったからこそ。

それはディフォルメでありウソでありサジ加減であり作り手の判断であり
完全オリジナルでないものの模造における、不可欠な創造的判断。

言ってみれば写真を縮小するのと、ちばてつやの絵の違い。
味気ない建築模型的縮小はデータ確認するときはいいけど
ノスタルジック感を味わわせるということであればちば的が正しくなる。
その両方があって選択していた状況が、片方が発生しないかも、という
状況を予感させたって話。ついでに手作りの模型的驚きもなくなる。

時代はもう魅力的な「目」と「手先」から生み出されるマジックは


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もうそんな要求されてねーんだ・・・という切ない実感。

手に取った途端この商品から伝わる波紋は・・・! 
あ、もう死んでる波紋!みたいな。




こないだのスパークにしても今やってるドッキングにしても
原型を作ること自体は基本誰でもできます。
極端な話、フィギュアーツで組み合わせてもそれで満足出来る。
他の原型師が作っても絶対にできます。

ただ

カッコいいもの、納得させられるものが出来るのかというと
そらわかんない。

そのキャラクターのレッテルが貼ってあればとりあえず買う層相手で
手抜きがOKであるなら、メーカーは工夫や努力をしなくなる。

経営ってのはそういう側面があり、金勘定する人間はたいてい
創造性には鈍感ですから平気でそのへんごっちゃにして気づかない。

でもこんなもんでいでしょ、って出来たものは正面からは正しいけど、
こっち側死んでるね、となったり、そもそもぎごちない組み上げにしか
ならないかもしれない。こんなもんでしょ程度で乗り越えられれば
造形なんて簡単なもんですが、乗り越えるのはけっこう厄介。

そこをカッコよく料理できるのが俺が考える原型師の仕事であり
造形の領分。注文を聞きつつ、原作と現実の空間取りのバランスを考え
一番多くの人のハートに突き刺さる形に持ち込むのが役目。

形状を追うだけなら劇中使用3Dデータを出力すれば
それが理論上正しい造形になってしまう。でも多くの実例がそれでは
成立しないと証明してる。要はそこもサジ加減なわけです。
「間違ってないものが正解とは限らない」のが造形の難しいところ。

特に今回、ペンタゴンの羽根の空間取りには製作時間の6割は
割いてます。そんくらいあーでもないこーでもないと本当に
グルグルグルグル知恵と感性を巡らせてた。


その時前述した「原寸大直視感」のような両目で見る感覚と
現実での安定感を俺は非常に重要視してます。

前から言ってますが、単眼の写真に簡単に収まっちゃうような造型はダメだと
思うんですよね。写真は基本、宣伝のためのもんで商売の道具であって
造型そのものとは関係ない。手に取っておお!?ってなるのが理想。
そうなるには立体的なレイヤリングというかリズムや流れ、重なり、
つまり俺の「目」による判断が不可欠だけど、それは写真にはなかなかおさまらない。

もちろん図面通り、写真映えする原型を作るときもありますが、そういう時は必ず
造型としては死んでます。いわゆる「絵合わせ」。たいていこれは失敗する。
ま、金もらえるならいっか、で作ってますが商品が届いて感動しました!
とか言ってもらえる時は、すべて写真無視。絵合わせ越えで作った時です。

たぶん、俺の造型がグルグル見ても面白いのが多いのは
そこが基軸にあるんだと思います。
商売として信頼とリピーターを望むなら、手に取った時の感動こそ重要です。
それは血管だとかシワだとか俺にとってはどうでもいいディティールではなく
空間取りの判断がビシっと決まった時こそ、感動に直結してる場合がほとんど。


もし俺がデジタルモデリングに切り替えたら、メカや武器やいろいろ
できなかったことが出来るぜ!とメリットだけ軽く考えて、デメリットなんかないと
思ってたけど、そもそも造形物との間合いを掴む「目」による判断が
発揮できないってのはやばくない?っつーのがしたかった造型話。


デジタル造型が気軽になって、まさか造型なんかする気もなかった
人が遊びとしてこのツールを選択できるようになって簡単に立体化して
そうした裾野の拡大はものすごいことになってきてます。
もう一度GKブームじゃないけど、個人で立体物を作るブームが
来ておかしくないと思う今、今更実感としてちょっと戦慄しつつ
技術の不要さに寂しく思いつつ、でもこれで俺、ロボも作れるし!と
実際メリットの方が多いのは明らかだから明るく思いつつ
とはいえビミョーにフクザツな心境の年末だったと。

そんだけ騒ぐからにはいよいよなんか始めてんのか?って思いますが
リアル粘土コネが忙しくてそんなヒマねーっつーオチですいません。
まだ俺の腰は動かんね。
posted by サンダーロードスタイル at 00:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする