2020年02月03日

2月第2週 カンジョーブギョー週報

有楽町マルイ8F イベントスペースにて

『SOLDIER TEAM TOKYO BASE』〜2月16日(日)


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開催中です。俺も行ってきました。

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その足でそのままキン肉マン酒場にも行ってきまして。


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じゃあその話書くのかっつーと、そうではなく

その後見たドキュメンタリー
小学生にウィーンフィルのコンサートマスターを務めた
バイオリニストがレッスンする番組、を見た話。

テメーがTV番組見た話なんか知るか!と俺だったら思うので
毎度毎度で読まなくて大丈夫です。情報と告知は冒頭で終了。






見ようと思ったのは
「楽譜が物語に変わる」という文言を見たから。


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粘土が作品に変わると同じ、ですかんね。

表現の本質もしくは種を、子供にどう手渡すのか?

クソみたいな感情論なのか、論理的に構築して言語化できるのか
NHKだからまたすぐ震災だ安倍だ中韓だとネジ込んでくるのか
とりあえずは見てみないとわからない。NHKは9割バカだから
非常にアテにならん。しかし1割の心あるスタッフの仕事があって
その場合は一生もんで胸に残る仕事を見せてくれる。

ま、見てみっか。と、軽い気持ちで流し始めたらなんだろな、これ。


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弦楽器に真剣に挑む小学生ってのが、老いてボーイズ感を失った俺の心を
グリグリに刺激してくる。もういろいろ見えて怖いし泣ける。

ので小学生部分への感情は置いとくとして


言わずもがなバイオリンは弦楽器です。

弦に接触反響させて音を出す。
強く弱く、長く短く。基本、たったそれだけ。物理的には。
ツールに過ぎない。

音程に沿って楽器を鳴らすのが音楽。
設計図に従ってツールを動かすという意味では
演奏という行為の本質は機械的な作業とも言える。再現性。

しかしそんなただのツールから胸を打つ演奏も生まれる。

人類はそれが可能と、心打たれると知っているからこそ
これだけずっと長い間、修練に挑み、表現の幅を広げ続けてきたわけです。

演奏に上手下手が生まれ、物理を超えたアプローチが可能な
技術よりさらに情動を伴う「芸術」という扱いになる。

再現以上の解釈に挑む時、個人的な「表現」の領域に踏み込むわけです。
ああほら、造形話っぽい匂いがする。
にしても果たしてそれをどう語るのか?技術ではなく表現の伝承を
どう行うのかという興味。


とはいえこの後、音楽を続けるかどうかすらわからない若手。
まだ複数ある興味の中の一つにすぎないかもな音楽・・・という現実。

長く物事を続けるのは難しい。と俺らは経験から知ってます。
興味は移り変わるし、その人を取り巻く状況も変化する。
模型や造形、仕事や創作、何人もの人間が脱落していくのを見てきました。
脱落じゃなく選択だったかもしれない。
でもできればみんな続けて欲しかった。情熱を持って挑んだ事を。

だから教える側は心の底から続けて欲しいと思ってるでしょうね。

自分と同じく身を捧げてバトンをつなぐ存在になって欲しいと、
思わないわけがない。


一本立ち出来なかったレッスンプロ的な3流と違って
きちんと結果出すとこまで登りつめたプロフェッショナルが
どういうアプローチをするのか、俺の中では結構なハードルで
番組が始まったわけですが、

そしたらこのバイオリニストは、ゆっくりと子供たちに
感情は肉体的にどういうものか、それが指先から楽器に
どう伝わるのか具体的な技術を教え、そのパフォーマンスを
最大限に発揮できるための心、リラックスを教える。

技術を教えるのに、灰色はない。
ある意味、この感情はこうです、と言い切って
それはこう伝えます、と迷いなく教える。
明快に公式化、単純化した技術を手渡す。
まずは三原色だけでいい、みたいな。

表現 = 感情の排出方法 = ツールを使う技術。

子供たちは余計な情報ではなく、感情の出し方のパターンを
技術として教わることにより彼らなりの排出方法の度合いを
探り始められる。

まさしくそれが表現です。

バイオリニストはこう説明します。

「楽器を完璧に演奏できるようになることはありません。

技術が完成してから表現の練習をするのでは時間が足りません。

感情表現はどんなレベルでもできるものなのです」

いやー、お見事。


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俺ら職業原型師がやってる作業は、演奏に似てます。
基本、きちんと楽譜があり、それに従って奏でる。
多少のアレンジしたとしても、楽譜という枠からは外れない。

一方オリジナル造型は、表現です。
すべて自分で考えて、感情を排出すべく技術を使う。

排出するのは技術で、それはなんとか学べますが、
そもそも排出すべき根源である感情の成長とコントロールは
なかなか誰も教えてくれない。

体の中に排出するほどの表現のマグマが溜まるのは、偶然としてしか
得られないのではないか?

噴火した後の話はどうとでもなるけど、そもそもどうやって
マグマ、つまり創作へのモチベーションを維持するのか
誰も教えてくれない。

興味程度のモチベーションなら誰でも生める。
数年なら情熱的に活動したり、世間との軋轢にも耐えられましょう。

でも数年すぎて、温度も少し下がり気味になり
試したいことはそれなりに試し、結果も予想がつくようになって
それでもなお、マグマは生まれるのか?生成し続けられるのか?
好きな事への「好き」という気持ちをどう維持する?

そんな疑問への答えが、感情表現、な気がします。

創作、表現はまず感情と直結すべきであって、その出口として
存在するのが正しい。そこに難しさはない。
感情がなくなることはないわけですから。

だからまず感情を出そう!という教えはなかなか俺にも響いたという話。

楽譜が物語に変わるには、粘土が作品に変わるには、まず感情表現ありきか、と
思ったドキュメンタリーでしたが、実はまだ前編しか見ておらず
再放送待ちの後編見たら印象逆転するかもしんないけど、そう思ったっつー話。


忙しいから我慢してるだけで、俺のマグマは溜まりっぱなし。
宿便のようにカッチカチになってるかもですが、全部出すぜ。
今年はアンパンマンより先に、オリジナルだ!

って今週もうWFですが、そんだけホザいといてなんも出しません。
Tシャツも。今回は端から端までずーっとのんきにいろいろ見て回るんだ。
WFで初めての経験。運動靴履いて行こう。
posted by サンダーロードスタイル at 00:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする